話題になっている2022年6月と半年ぐらいに出版された『限りある時間の使い方』を今更ながら読みました。
タイムマネジメントの本かと思って読んでみたら、もはや人生論でしたね。
今まで自分が抱いていた時間やタスク、自己投資に対する考え方の問題点を鋭く指摘していてブッ刺さりまくりました。
生産性に関する情報を集めている人は読んでおいた方がいいかもしれないです。
『限りある時間の使い方』から個人的に学んだ3つのこと
1. 「選択肢を確保する」という幸福度を下げる行為をやめる
2. 物事への注意を意識にコントロールさせずに自分自身の意図的な選択で時間を使う。
3. やる気が起きない時など負の感情を抱いた場合はその感情を観察する
人生とは時間の使い方である
80歳まで生きるとすると人生は4000週間しかない。人生とは時間の使い方そのものであり、注意を向けた物事の全てである。
ほとんどの人は人生をどうでも良いタスクに費やす毎日であり、『人生の短さについて』でおなじみローマ時代の哲学者セネカに言わせれば、そういう人は真に生きているとは言い難く、ただ存在しているだけであるとのこと。
より生産性を上げ、時間を有効に使うことができれば「いつか全てのタスクが完了し、本当にやりたいことだけに時間を割ける完璧な世界がやってくる」と思うかもしれないが、効率を上げれば上げるほど益々忙しくなりタスクはさらに増えていく。
限りある生という現実から目を背けて生きている人──時間は無限にある、あるいは時間の使い方を工夫すればあらゆることができると思っている人──は、結局のところ天国を信じているのと同じようなものだ。彼らは自分の時間が限られていることを自覚していない。だから、時間の使い方が重大な問題であることに気づかない。
なぜいつも時間に追われるのか
仕事量と進歩のラットレース
ケインズは100年後には、富の増加と技術の進歩のおかげで、みんな週に15時間しか働かなくなるだろうと語ったが、間違っていた。人は必要な分のお金を手に入れても満足しない。
生活のスタンダードは上がるばかりで富の増加と技術の進歩の恩恵を相殺している。
この先さらに世界は進化していき、AIが仕事を代替してくれるだろうが、仕事は増え続け、人々は働き続ける。
洗濯機や掃除機といった「省力化」のための家電が、実際にはまったく家事を楽にしなかったと指摘する。なぜかというと、家事のレベルに対する社会の期待値がぐんと上がり、家電による省力化のメリットを相殺してしまったからである。
時間の捉え方
産業革命が起こる前、農民の仕事に終わりはなかった。次の日になれば乳を絞り、次の収穫期が来れば収穫する。だから、すべて完了した状態というのはありえないし、ゴールを決めて競争する意味もなかったという。
この時代はタスク自体が生活のリズムを生み出している。時計もなかったのでその仕事にどれぐらいの時間がかかるか計測したければ、他のタスクと比較することしかできなかった。時間という概念がなかったのである。
時計が生まれ、資本家が時間で労働者の生産性を管理できるようになり、産業革命が起きた。これによって生活が繰り広げられる舞台であり、生活そのものだった時間が生活から切り離され、「使う」ことができるモノになった。ここから人間は時間と闘い始めることになる。
時間を使うようになった私たちは「時間をうまく使わないといけない」というプレッシャーにさらされ、時間を無駄にするとすごく悪いことをした気分になる。
時間の有効活用ばかりを考えていると、人生は想像上の未来に描き込まれた設計図となり、ものごとが思い通りに進まないと強い不安を感じるようになる。そして時間をうまく使えるかどうかが、自分という人間の価値に直結してくる。
ビラブルアワーの価値観
[ビラブルアワー = 報酬を請求できる時間]のことで、弁護士は時給で給料が支払われるのではなく、[実際に働いた時間] × [その弁護士の単価]が報酬になることが基本らしい。
このビラブルアワーの価値観に染まった弁護士は「商品としてしか時間の意味を理解できなくなり、それ以外の活動に参加することに価値を感じられなくなります」とカトリック法学者のキャスリーン・カヴェニーは言う。
私たちもこれと同じような状況に陥っており、休みの日や少しの空いた時間も将来に備えて投資していないと、なんとなく気分が落ち着かない。マンガや映画といった余暇からでさえ、何かを学び取り、より良い労働者になるためのツールのように思えてくる。
余暇の時間は数十年前よりも増えているにもかかわらず私たちはまったく余裕があるように感じない。余暇でさえやることリストのひとつになってしまったからだ。 調査によると、この傾向は裕福になればなるほど強まるらしい。
お金持ちは仕事に加えて、自由時間にもやらなければならないことが無限にある。ビジネス書を読まなければいけないし、映画を見なければいけないし、友人とキャンプに行かなければならないし、家族と旅行に行かなければならない。選択肢が無限にありすぎて、やるべきことをやっていないような気分になる。
つねに計画がうまくいくかどうかを心配し、何をやっているときも将来のためになるかどうかが頭をよぎる。いつでも効率ばかりを考えて、心が休まる暇はない。
私たちは時間をあるがままに体験することではなく、「今」を未来のゴールに辿り着くための手段に変えてしまった。
ある老人がワインを飲み、満ち足りた気分になる。そのことに価値がないというのなら、生産も富もただの空虚な迷信にすぎない。生産や富に意味があるのは、それが人に還元され、暮らしを楽しくしてくれる場合だけだ。
シモーヌ・ド・ボーヴォワール
タスクを減らす3つの原則
自分の取り分を取っておく
まず本当にやりたいことのための時間を取っておく。
毎月余った分のお金を投資しようとすると余らないのと同じで、まず自分の取り分を確保しておかないとどんどん他のことに時間を使ってしまい、絶対に余らない。
時間の自動引き落としを生活に組み込む。
進行中の仕事を制限する
進行中の仕事を3つに制限する。
3つを選択した後は1つが完了するまで、他の仕事は一切やらない。
大事なことは始めたことを絶対にやり遂げることではなく、中途半端なプロジェクトがどんどん増えていくのを防ぐこと。
優先度[中]を捨てる
バフェットのものと思われるアドバイス。
「人生でやりたいことのトップ 25 をリストアップし、それをもっとも重要なものから重要でないものへと順番に並べてみなさい。そのうち上位の5つに時間を使うといい。そして残りの20項目は捨てなさい」
優先順位が中くらいのタスクは、邪魔になるだけ。
いつかやろうなどと思わないで、ばっさりと切り捨てたほうがいい。それらは人生のなかでさほど重要ではなく、それでいて、重要なことから目をそらすくらいには魅力的だから。
色々仕事術の本や成功者のアドバイスで同じようなものがあるが、これこそが、「ノー」を言う本当の理由かもしれない。
自分が本当にやりたいと思うことにこそ「ノー」と言う。
[今]という時間の過ごし方
意図的な選択で時間を使う
人生を振り返ったときに思い出すものは注意を向けたことたちであり、それ以外のことは全て記憶から抹消され、(もはや記憶にも貯蔵されない)なかったことになる。つまり人生は注意を向けた物事の全て。
SNSでくだらない発言やスイカを輪ゴムで破裂させることに注意を向ける時、私たちは人生の一部を削ってそれらに時間を使っている。
かわいい子のTiktokを見ることそのものが悪いことなのではなく、本当にやりたいと思っていることから注意を逸らされ、強制的に時間を使わされることが問題。
自分自身の意図的な選択で時間を使うようにしよう。
あえて選択肢を捨てる
「選択肢を確保する」という誘惑から解き放たれることで、あることにコミットする時間と覚悟が得られる。
マッチングアプリはデートする相手を効率的に見つけるツールだけれど、デートできるかもしれない魅力的な相手の数が多すぎて、あまりにも多くを失った気分になる。
なんらかのチャンスを逃してしまうことに恐れを感じるかもしれないが、そもそもほとんどのチャンスを逃すのは当たり前の話。その時その時に選べる選択肢は一つしかないし、そもそもその決断にすら意味はない。決断の後に何をするかが結果につながる。
結婚相手を選ぶという行為も他のさらなる魅力的な未来のパートナーの可能性を全て断念して、今のパートナーにコミットするからこそその人を特別にする。
「ほかにも価値のある何かを選べたかもしれない」という事実こそが、目の前の選択に意味を与える。
研究でも他の選択肢を選べたかもしれないという状況より、後戻りできなかったり、一つしか選択肢がない状況でないと人は自分が選んだ選択に満足することはできないことが明らかになっている。
[失う不安]の代わりに[捨てる喜び]を手にしよう。
負の感情を観察する
あるタスクに対してモチベーションが上がらないのなら、集中しようと思うのではなく、そのやりたくないという感情を落ち着いてそのまま観察した方がいい。
真言宗の僧侶になるために修行に打ち込んでいたスティーブ・ヤングの話が参考になる。
凍てつく水が肌を刺すたびに、何か別のことを考えようとしたり、意志の力で冷たさの感覚を消そうとしてみた。
刺すように冷たい水を何度も何度も浴びるうち、ヤングはそれが誤った戦略であることに気づいた。むしろ意識を冷水に集中させて、強烈な冷たさを全力で感じたほうが、苦痛が軽減されるのだ。
「いったん注意が途切れると、苦痛は耐えがたいものになります」とヤングは言う。彼は冷水をかぶるたびに、今ここで感じていることに意識を集中させた。そうすると、冷たさを感じても、苦痛にのみ込まれずにすむのだった。
それこそが冷水の儀式の目的であることがわかってきた。気を抜かずにいれば報酬が与えられ(苦痛が減り)、気が散ると罰が与えられる(苦痛が増す)。伝統的な仏教の言い方とは違うかもしれないが、これは集中力を鍛えるためにデザインされた「巨大なバイオフィードバック装置」なのだ。
やりたくないという感情を受け入れると不思議とその負の感情は軽くなっているはず。これこそが瞑想を習慣化することで生産性が上がる理由なのかもしれない。
瞑想によって嫌なことであれ、良いことであれ、普通のことであれ、意識を集中する練習をすることで難しいタスクを前にしてモチベーションが上がらない時にでもその感情を観察し、軽くすることができる。
退屈がつらいのは、単に目の前のことに興味がないからではない。退屈とは「ものごとがコントロールできない」という不快な真実に直面したときの強烈な忌避反応だ。
退屈はいろんな場面でやってくる。困難なプロジェクトに取り組んでいるとき、日曜日の午後に何もやることがないとき、5時間ぶっ続けで2歳児の相手をしなくてはならないとき。どんな場面にも共通しているのは、自分の有限性が目の前に突きつけられているという事実だ。
まとめ: タスクを全て片付けた完璧な世界はやってこない
1. どうでも良いタスクやくだらないSNSに注意を持ってかれていることは人生そのものを無駄にしている
2. 生活のスタンダードを自ら上げているから富と技術の進歩、生産性の向上を相殺している
3. 時間は[使う]ものではなく、私たちの生活そのもの。有効に使うという考え方がプレッシャーを生む。
4. 娯楽であれ、仕事であれ自分自身の意図的な選択で時間を使う
5. 選択肢は捨てる。他のことを捨てて選んだからこそその選択肢を特別にする
6. 負の感情を感じた場合は打ち消そうとするのではなく、観察する
終始かなり良いことを言っていて、要点だけだとこの本の良さを伝えきれません。
ぜひ本書を手に取って読んでみることをおすすめします。
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