「武士道」は1889年(明治32年)に新渡戸稲造によって著され、原本は英語。
新渡戸稲造が外国人の友人に「宗教教育がないのならどのように道徳の教育を授けるのか」と問われた際にすぐに返答できなかったことが「武士道」を書くきっかけとなったと彼は語っています。
個人的に「新渡戸稲造めちゃくちゃ頭良いな」と思ったところは、
外国人向けに日本人の考え方を他国と比較しながら、国内外問わず、多くの本や論文を引用し、徹底的に歴史的背景を踏まえてわかりやすく伝えているところです。
グローバル化が進む現代において「日本人とはなんなのか」を理解し、日本人として誇り高く生きていくために本書は必ず読んでおく必要があると思います。
武士道とは
一言でいうと「日本人が持つ倫理・道徳規範の根本となる思想」のことです。
近世以降の封建時代に形作られた思想ではありますが、個人的に現代の日本人にも根ざしているものだと感じています。
武士道の起源と源流
封建時代の中で武人階級が力をつけ、その責任と義務が大きくなったことによって行動様式や共通の規範として自然発生的に生まれました。
そんな中で武士道の成立に以下の宗教や考え方が影響を与えています。
- 仏教
危険や困難に対して常に心を冷静に保ち、生に執着せずに死を恐れないこと。 - 神道
主君への忠誠や祖先への尊敬、親に対する孝行を大切にすること。 - 孔子
武士階級に適した貴族的で保守的な考え方。 - 王陽明
知識と行動を一致させる「知行合一」という考え方。
このような仏教、神道、孔子、孟子、王陽明の教えを抽出し、新たな男らしい「武士道」という行動規範を生み出し、日本人の考え方の核が醸成されていきました。
武士道の構成要素
武士道は
- 義
- 勇
- 仁
- 礼
- 誠
- 名誉
- 忠義
が重要な要素として存在しています。
それぞれ詳しく説明していきます。
武士道における7つの掟
義
真木和泉守という武士は、「武士の重んずるところは節義である。
武士道 – 新渡戸稲造
節義とは人の体にたとえれば骨に当たる。骨がなければ首も正しく上に載ってはいられない。
手も動かず、足も立たない。だから人は才能や学問があったとしても、節義がなければ武士ではない。
節義さえあれば社交の才など取るに足らないものだ」と述べている。
義は武士の掟の中で最も厳格で重要な要素であり、
江戸時代後期の経世論家であった林子平は「義は自分の身の処し方を道理に従ってためらわずに決断する力である。死すべきときには死に、討つべきときには討つことである」と述べています。
簡単に言えば自分の信念に従って決断する力のことですね。
イメージとしては「義」は武士道の骨格になる部分であり、それに肉付けする形で他の「勇」や「仁」が備わることで立派な武士になれるということです。
義理
文字通りの意味は「正義の道理」である。だが、それは次第に世論が定めた果たすべき義務と、世論が期待する個人的義務感を意味するようになってしまった。
武士道 – 新渡戸稲造
この「義」をより狭い形で人々に浸透したのが「義理」であり、個人的にこの「義理」が現代日本人にまで根付いている無駄とも思える強烈な責任感を与えているのだと感じます。
上記の引用で語られていますが、時が経つと腐敗していき、
- 父親の遊びのために娘が身を売る
- 長男を救うために他の子供を犠牲にする
こういったことが正当化されるようになってしまったようです。
武士の時代から続く、父親やある一族の目的のために自分を犠牲にしなければいけないという世間の期待。
この期待が「Karoshi」(過労死)という言葉がグローバルになるほど、ある種異常とも言える責任感を根付かせてしまっているのだと考えました。
勇
勇気の精神的側面は沈着、すなわち落ち着いた心の状態となって表れる。
武士道 – 新渡戸稲造
大胆な行動が動態的表現であるのに対し、平静さは静止の状態での勇気である。
真に果敢な人間は常に穏やかである。決して驚かされず、何物にもその精神の均衡を乱されない。
そのような者は戦場にあっても冷静である。破壊的な大惨事の中でも落ち着きを保つ。地震にも動揺せず、嵐を笑うことができる。
死の危険や恐怖にも冷静さを失わず、たとえば迫り来る危機を前にして詩歌をつくり、歌を口ずさむ。そういう人こそ偉大なる人と賞賛されるのだ。
“恐るべきものと、恐れるべきでないものを識別すること”
この言葉が「勇」をきれいにまとめています。
また、”勇気は義のために行われなければ、徳の中に数えられる価値はないとされた。“という言葉の通り、死に値しないもののために死ぬことは「犬死」とされ、逆に潔く死を受け入れないことは武士ではないとされました。
一本軸となる強い精神を持ち、その精神をどんな時にもぶらさずに戦い続けることが「勇」であるということです。
仁
敗れたる者を慈しみ、傲れる者を挫き、 平和の道を立てること、これぞ汝の業。
武士道 – 新渡戸稲造
愛、寛容、他者への情愛、哀れみの心である「仁」は「王者の徳」とされており、孔子や孟子も「仁」は民を治める者が必ず持たなければならない最高の徳と説いています。
さらに新渡戸稲造は高潔で厳しい正義が男性的であるのに対し、「仁」を優しく柔和な母のような女性的な徳であると述べています。
以上のことを踏まえると「仁」は器の大きさということですね。
ただし、伊達政宗が「義に過ぎれば固くなる。仁に過ぎれば弱くなる」と語ったように、ただ男性的な厳しさや正義を持たずにむやみに「仁」の慈悲に溺れることは戒めるべきこととされていました。
優しいだけの男がモテないように何の考えもなしに全てを許すような人になってはいけないということ的な感じ。
強く、賢く実績を残したものが立場の弱いものを擁護したり、応援すること。
それが「仁」ということなのではないでしょうか。
礼
「礼の最高の形態はほとんど愛に近づく」と述べられているように「礼は寛容にして慈悲深く、人を憎まず、自慢せず、高ぶらず、相手を不愉快にさせないばかりか、自己の利益を求めず、 憤らず、恨みを抱かない」ことであるとされています。
簡単にいうと、礼は自己の利益を求めず相手を敬う精神の支配力のこと。
「礼」が武士にとって重要なものと認識されるようになると「礼儀作法」として挨拶や食事、茶道などあらゆることで社会的に正しい振る舞いを日本人は叩き込まれました。
少数の外国人にこの細かい礼儀作法は「日本人の思考力を奪い、馬鹿げていること」と批判されていましたが、新渡戸稲造は「正しい作法をたえず訓練することによって、身体のあらゆる器官と機能に完全な秩序をもたらし、肉体と環境とを調和させることによって精神の支配をおこなうことができる」と述べています。
「うわべだけの作法が礼儀ではないことは、音が音楽と同一ではないのと同じこと」だと孔子が説いており、こういった正しい作法の訓練によって得られた精神の支配力が日本人が持つ礼儀の素晴らしさだと言えるでしょう。
個人的に自分も外国人と同じく、日本にまだまだ存在する無駄とも思える作法を批判的に考えていますが、「この作法は自分たちの精神の何に寄与しているのか」といったことを少しでも考えてみると新しい発見があるのかもしれません。
誠
真実と誠実がなければ、礼は茶番であり芝居であるとされ、伊達政宗は「度が過ぎた礼は諂いとなる」と語っています。
誠は従って「誠」があることによって「礼」は成り立つと言えます。
嘘をついたり、誤魔化したりすることは卑怯者とみなされ、武士は特に厳しくこの「誠」を求められました。
つまり、嘘をついたり、誤魔化したりしない強く正しい心が「誠」であると言えます。
本物の武士は「誠」を命よりも重く見ていたため、誓いを立てることも慎重にならざるを得なかったようです。
裏で企みを持って、媚びへつらい、まやかしの礼を行うこと(社内政治などあらゆる場面でのごますり)は武士道から最もかけ離れた行動と言えるかもしれません。
名誉
名誉と名声が得られるのであればサムライにとって生命は安いものだと思われた。
高名──人の名声。「人としてもっとも大切なもの、これがなければ野獣に等しい」という思いは、当然のこととして、高潔さに対する屈辱を恥とするような感受性を育てた。そして、この恥の感覚、すなわち 廉恥心 はサムライが少年時代から最初に教えられる徳の一つであった。
武士道 – 新渡戸稲造
この時代の若者にとって「名誉」はただの見栄だったり、世間体の良さにすぎないもののような本質的でないものだったとしても最高の善として追い求められました。
そのため、サムライの若者が目標とすべきことは知識や富の獲得ではなく、「名誉」を得ることだったようです。
以下個人的にめちゃくちゃ熱くなった一節です。
わが家の敷居をまたぐとき、世に出て名を成すまでは、再びこれをまたがない、と自分の心に誓ったものである。
武士道 – 新渡戸稲造
また我が子に大きな望みを託した多くの母親は、息子が「錦を飾る」との言葉通りになるまで、再会することを拒んだ。
恥になることを免れ、名をあげるためなら、サムライの息子はいかなる貧困にも、いかなる艱難辛苦にも、自分にあたえられた厳しい試練として耐えたのであった。
彼らは、若年のころに勝ち得た名誉は、年齢とともに大きくなることを知っていたのである。
これほどまでに名誉にこだわり、何かを成し遂げようと命を燃やしていたことがわかると思います。
秒速1億円の男である与沢翼も「結果を出すか、死ぬか」と言っていましたが、まさしく武士道の考え方だなと。
私ももうすぐ25歳になる手前でようやく時代を超えた最高の考え方である「武士道」をインストールできました。
若者と呼ばれる20代の半分に差し掛かるところですが、この一節を読んでサムライの若者たちのように名誉を得るまではたとえ生活費を稼げなく、餓死したとしても実家には戻らないと決意。
忠義
君主と臣下が意見の分かれるとき、家来の取るべき忠義は、ケント公(『リア王』の登場人物)がリア王を 諌めたように、あらゆる可能な手段を尽くして、主君の過ちを正すことである。
武士道 – 新渡戸稲造
もし、その事がうまくいかないときは、武士は自分の血をもって己の言葉の誠実を示し、主君の叡智と良心に最後の訴えをするのが、極めて普通のやり方だった。
わが生命は主君に仕えるための手段と考え、それを遂行する名誉こそ理想の姿であったのだ。サムライの教育と訓練はすべて、これに従って行われたのである
武士道は個人よりも国家が先に存在し、個人は国家を担うための構成員として考えています。
ただ、それは国家や主君の奴隷になるというわけではなく、心の底から自分が意義を感じる活動を行い、それを行う「名誉」こそが真にサムライが重視していたことだったのだと思います。
個人的に国内外問わず、スタートアップで働く人たち(起業家も社員も)を見てると「武士道」を感じることがあります。
会社のビジョンのため、目指したい社会のために活動している彼らは現代版のサムライといっていいはず。
人生は名誉と忠義のために使いたいですね。
武士道のまとめ
・武士道は日本人が持つ倫理・道徳規範の根本となる思想
・「義」は自分の信念に従って決断する力のことであり、武士道の中で最も重要な骨格になる部分
・「勇」は恐るべきものと、恐れるべきでないものを識別すること
・「仁」は愛や寛容、優しい心のことであり、民を治める者が必ず持たなければならない最高の徳
・「礼」は自己の利益を求めず相手を敬う精神の支配力のこと
・「誠」嘘をついたり、誤魔化したりしない強く正しい心のこと
・サムライは「名誉」を得ることに人生を燃やし、「名誉」のために命を犠牲にすることができた
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